被災地の無事をお祈りします。

yasuko09132011-03-11



当日は電話もメールも繋がりにくかった状況ですが、ようやく親族や友人の無事も確認できるようになってきました。
とはいえ、関東ではそうそうの被災があるわけもなく、心配なのは東北の皆さまです。


地震があった時間、我が社では全国会議を開催していました。
熱弁を振るっていた我が部長は、立っていたためしばらく地震に気づかず、ざわつく参加者の様子で一時中断。大きな揺れを2回、やり過ごしました。
「出口を確保して!」と言われて会議場のドアを開けるも、ドアにしがみついて動けない私・・・かなりヘタレな姿を全国の皆さんに晒してしまいました(汗)。


それこそ皆さんが全国のメンバーと安否確認を行なうも、ほとんど繋がらず。本社と連絡を取って現地待機となり、役員指示で水や食料を買い込んできたり、公共交通機関は止まってるとか、ワンセグでのTV放映を頼りに少しづつ情報を集めて、ホワイトボードに書き出していきました。
震源地が宮城と分かり、どんどん規模が拡大して津波も発生し、茨城も同時と分かり・・・。ワンセグ映像によれば八戸の事務所は浸水したらしいとのことだし、取引先も津波に飲まれた模様。山形・宮城・福島あたりはほとんど現地のメンバーと連絡がつかず、本当に心配です。
結局17時過ぎに解散となり、(ほぼ全員ですが)帰れない人たちが本社へ戻りました。階段で昇ります。


皆さんのフォローをしつつ、自分はどうするか・・・検索すると、自宅まで10kmちょっととのこと。先輩も同方面だし、二人で歩いて帰る?と言いながら、決断できず。
19時半頃、東海道新幹線が動き始めるということで、西日本の皆さんがいったん東京駅へ向かいます。それを見届けて、歩いて帰る決心をし、20時15分、会社を出発しました。


ヘルメットかぶったり、非常袋を背負ったりしている人もいます。途中でバスに乗るも全然動かず、5mで降りてまた歩いたり。ホント、二人で一緒じゃなかったら、途中で泣いて諦めてたと思います。23時15分、先輩の最寄り駅に到着。運行再開した電車をしばらく待って乗り、なんとか日付変更直後に自宅にたどり着くことができました。。。
このマンションは古く、かなり揺れるので心配だったのですが。とりあえず、ドアを開けたら靴箱が倒れてて玄関がふさがれてました。いろいろ、落っこちたり転がったり倒れたり、こちらを向いているはずのトースターが横を向いていたり、TVが落っこちたりしているものの、割れ物はなく、一安心。


片付けて、景気付けにビールを開けてみたけど、飲みきれずに寝オチしました。


想定はしていたけど、理解していなかった大地震
その後、連絡が取れたのかどうか、東北のメンバーの皆さん・スタッフの皆さんの安否が心配です。
今日は出なくて良いとのことだったので、明日は出勤して安否確認します。皆さんの無事をお祈りします。